
雫石デス。
今回は前回の予告通り “ワタシとノリック” を紹介したいと思います。
まずはじめに、“ノリック”こと阿部典史選手について簡単に説明したいと思います。ズバリ、わかりやすくいうとバイクのレーサーです。ワタクシのバイクレース好きは5月のブログを参照してみて下さい。
“ノリック”はオートレーサーのお父さんのもとに生まれ、5歳でバイクに乗りはじめ、15歳でダートトラックやモトクロスの修行の為に渡米しました。ちなみに、“ノリック”という愛称はアメリカにいた時につけられたそうです。
1993年には、全日本選手権500㏄クラスに出場、このクラスはこの年に休止が決定していましたが、その最後のシーズンに史上最年少で全日本チャンピオンになりました。スゴイのはその時、全日本のレースも500㏄のマシンも1年目だったということです。いわゆる、天才ってやつですかね。
そして、1994年にはロードレース世界選手権(WGP)の日本GPにワイルドカード(特別参加)で出場し当時のトップライダーと激しいトップ争いを繰り広げました。一時は先頭に立ったものの、レースの終盤で転倒してしまいレースを終えましたが、いきなりの出場でトップライダーと互角の争いはかなりの衝撃でしたね。
その活躍もあり、その後は世界の舞台で活躍し、グランプリ最高峰(当時500㏄)クラス通算3勝という現役日本人ライダーの最高の実績をもっています。
それからも、それまでの最高峰500㏄クラスがMotoGPクラスという4ストロークマシンに以降した年などはシーズンのほとんどを2ストロークのバイクで参戦したものの900㏄OVERの4ストロークマシンに劣ることなく、年間成績6位という他の2ストロークマシンで参戦した選手の中での最高位の成績を残しました。
その後も数々の言い尽くせない素晴しい走りをみせた“ノリック”ですが、残念なことに皆さんもニュースなどでみた方もいると思いますが、今年10月7日公道でバイクに乗っていてUターン禁止の場所で急にUターンしたトラックに衝突し32歳という若さで亡くなりました。
加藤大治郎選手に続き(ブログの5月を参照)日本の有望なライダーが若くして亡くなってしまい本当に残念でなりません。
“ノリック”がレースで走っている時、本当に速かったんです。初めの頃はよく転倒もしてましたが、それは、“勝利”へのアグレッシブさであり、他のライダー達も認める速さでした。僕が一つ印象に残っているのは、ある年のレースの後にその時の絶対王者マイケル・ドゥーハンがレース後のインタビューかなんかで、ノリックの事を「彼は本当に速いレーサーだ、ただ、彼はなんで自分が速いかを理解していない」と言っていたのをすごく覚えていて、その時は日本人のまだ若いレーサーを王者が認めてくれるなんて、ノリックって本当にすごいなぁと余計にファンになったものでした。
阿部典史選手の“死”本当に残念でなりません。
心よりご冥福をお祈り致します。
今回も非常に個人的趣味の話しで申し訳ありません。興味の無い方はサクッとスルーして下さい。
このブログを最後にまたしばらくワタクシ雫石のマニアックブログは期間が空きますが、今度はもっと明るい話題のブログを書きたいと思いますので、その時までお待ちあれ。