2007年10月26日

11月13日(火)に・・・

ちょっと、割り込んで・・・清水です。

またまた、大井倉田児童センターで 『子供のカットセミナー』を 頼まれ
開催する事となりました。
またまた、ちっちゃい子供達と会ってきます。
(決して、ママ目当てでは御座いません)

今回は、自分自身の子育てについても お話ししようと 思っています。
思春期を迎えた 息子の事・・・まるで、昔の自分を見ているようで・・・

無事に終了しましたら また、ご報告致します。

ワタシとノリック

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雫石デス。

今回は前回の予告通り “ワタシとノリック” を紹介したいと思います。

まずはじめに、“ノリック”こと阿部典史選手について簡単に説明したいと思います。ズバリ、わかりやすくいうとバイクのレーサーです。ワタクシのバイクレース好きは5月のブログを参照してみて下さい。

“ノリック”はオートレーサーのお父さんのもとに生まれ、5歳でバイクに乗りはじめ、15歳でダートトラックやモトクロスの修行の為に渡米しました。ちなみに、“ノリック”という愛称はアメリカにいた時につけられたそうです。

1993年には、全日本選手権500㏄クラスに出場、このクラスはこの年に休止が決定していましたが、その最後のシーズンに史上最年少で全日本チャンピオンになりました。スゴイのはその時、全日本のレースも500㏄のマシンも1年目だったということです。いわゆる、天才ってやつですかね。

そして、1994年にはロードレース世界選手権(WGP)の日本GPにワイルドカード(特別参加)で出場し当時のトップライダーと激しいトップ争いを繰り広げました。一時は先頭に立ったものの、レースの終盤で転倒してしまいレースを終えましたが、いきなりの出場でトップライダーと互角の争いはかなりの衝撃でしたね。

その活躍もあり、その後は世界の舞台で活躍し、グランプリ最高峰(当時500㏄)クラス通算3勝という現役日本人ライダーの最高の実績をもっています。

それからも、それまでの最高峰500㏄クラスがMotoGPクラスという4ストロークマシンに以降した年などはシーズンのほとんどを2ストロークのバイクで参戦したものの900㏄OVERの4ストロークマシンに劣ることなく、年間成績6位という他の2ストロークマシンで参戦した選手の中での最高位の成績を残しました。

その後も数々の言い尽くせない素晴しい走りをみせた“ノリック”ですが、残念なことに皆さんもニュースなどでみた方もいると思いますが、今年10月7日公道でバイクに乗っていてUターン禁止の場所で急にUターンしたトラックに衝突し32歳という若さで亡くなりました。

加藤大治郎選手に続き(ブログの5月を参照)日本の有望なライダーが若くして亡くなってしまい本当に残念でなりません。

“ノリック”がレースで走っている時、本当に速かったんです。初めの頃はよく転倒もしてましたが、それは、“勝利”へのアグレッシブさであり、他のライダー達も認める速さでした。僕が一つ印象に残っているのは、ある年のレースの後にその時の絶対王者マイケル・ドゥーハンがレース後のインタビューかなんかで、ノリックの事を「彼は本当に速いレーサーだ、ただ、彼はなんで自分が速いかを理解していない」と言っていたのをすごく覚えていて、その時は日本人のまだ若いレーサーを王者が認めてくれるなんて、ノリックって本当にすごいなぁと余計にファンになったものでした。

阿部典史選手の“死”本当に残念でなりません。

心よりご冥福をお祈り致します。

今回も非常に個人的趣味の話しで申し訳ありません。興味の無い方はサクッとスルーして下さい。

このブログを最後にまたしばらくワタクシ雫石のマニアックブログは期間が空きますが、今度はもっと明るい話題のブログを書きたいと思いますので、その時までお待ちあれ。

2007年10月19日

我が家のガラクタ Part 6

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《お知らせ》

まず初めに、本来は週に1度ブログを更新するのですが、先週は更新しておりません。何故かと言うと、お店の電話&パソコンをリンクさせるというシステム工事の為に先週1週間パソコンのNETが繫がらない状態だったのです。工事自体は数時間で終わるもので、本来はすぐにNETも繫がる予定だったのですが、業者さんの手違いで繫がらない状態が1週間あったのです。ブログを楽しみにしていた方には本当に申し訳ありませんでした。m(_ _)m 苦情は業者さんにお願いします。


雫石デス。

今回のガラクタは、5月に紹介したものの続きで、ウルトラマンに出てくる怪獣の指人形達です。
困った事に怪獣達はウルトラマンより数が多いのです・・・・。当たり前ですがね・・・

え~つまりですねぇ、おわかりかと思いますが、沢山あって集めるのが大変なのです。どんだけバルタン星人居るんだよって位にバルタン星人だけでも数種類いるし、しかも、同じ怪獣でも何故か微妙な色違いなどがあったりで、飽きっぽいワタクシは途中であきらめました。

特に、あきらめた原因の一つとしては、ウルトラマンの指人形を買いあさっていた当時、大井町のアトレの中にウルトラマンショップがあって足しげく通ったのですが、いつの間にか潰れてしまいまして、他で買えるとこを探したら後楽園遊園地の中に・・・との事で、“後楽園って・・・・・”と、あまりの遠さに断念せざるを得なかったのです。

一応、家には写真に写っているものの倍以上の数があるのですが、ハッキリ言って今となってはまさに


“ガラクタ”


です。

ウルトラマンほど思い入れのある怪獣が居なく“揃ってる”というというビジュアル的なもので眺めてほくそ笑んで程度です。

でも、もしウルトラマンショップが近くにあったらまた集めてしまうかも知れませんね。


~次回予告~

「ワタシとノリック」を乞うご期待!


2007年10月05日

もしかして、ヒマ?

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我が家のガラクタ Part 5

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雫石デス。

5月以来の登場ですが、例によって今回も“我が家のガラクタ”を押し付けがましく御紹介したいと思いますのでお手柔らかにお願い致します。 m(_ _)m


今回の商品はご覧になってわかるとおり“TOY STORY”デス。


これを知らない方はほとんどいないかと思いますが、1995年PIXAR制作のCGアニメで、当時これを見た時はかなりの衝撃を受けました。もともと、アニメは好きなのですが、今までのそれとは違う映像にかなり見入ってしまいました。10年以上も前の作品なのに、未だにファンも多いかと思います。


最初はあまり興味が無かったのですが、当時、ワタクシが派遣の美容師をしていて、派遣先のお店のアシスタントの子に「面白いから絶対観た方がイイですよ」と勧められて観たのがはじめで、観た瞬間に一目惚れしたのデス。


映画を観た後はワタクシいい大人なのですが(当時24~5歳)本当にこっそりとおもちゃ達が話しとかをしていたら ス・テ・キ などと妄想を膨らませていたものデス。


そして、もともとが“おもちゃ”という設定もあり関連キャラクターグッズの多い事多い事・・・。基本的にはコンプリートが可能なモノに関しては極力コンプリートしたいのですが、TOY STORYに関してはハッキリ言って全ての商品を網羅する事は全く考えず、はじめから「欲しいものだけ買おう」と思ってました。一番最初に手に入れたモノは、当時、マクドナルドのハッピーセットのオマケだったバズのゼンマイ人形でした。その後は今CASの店内にも置いてあるバズの大きいフィギュアや、ガシャポンのモノや、写真のようなミニチュアの人形でした。TOY STORYのおもちゃの数自体はそんなに沢山は持っていないのですが、色々な意味でTOY STORYという作品はとても思い出深いCGアニメデス。


当時ワタクシにTOY STORYを紹介してくれた中村さんありがとう!